俊基朝臣墓所碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
源氏山公園の一角にある日野俊基墓に建てられています。
日野俊基は、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍しましたが捕らえられ、ここ葛原ケ岡(現・源氏山公園)で処刑されました。
俊基朝臣墓所碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:としともあそんぼしょ
- 文化財区分:なし(旧跡碑・国指定史跡内にあり)
- 住所:〒247-0063 神奈川県鎌倉市梶原5-9
- 建立:1917年(大正6年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
俊基朝臣墓所碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩約30分(約1.8km・半分近く上り坂)
- 北鎌倉駅から徒歩約25分(約1.5km・半分以上は上り坂)
- 鎌倉駅西口から京急バス「鎌51」系統もしくは江ノ電バス「K1・K6」系統に乗車、「法務局前」バス停下車、徒歩約20分(約1.1km・半分以上は上り坂)
- 大船駅東口から京急バス「船50」系統に乗車、「源氏山入口」下車、徒歩約10分(約450メートル・半分以上は上り坂と階段)
葛原岡神社の参拝と兼ねるのであれば葛原岡神社の駐車場が使えますが、土日祝と巳の日は、通行規制が行われるため日中は車で向かうことは出来ません。
俊基朝臣墓所碑の写真と碑文と意味
藤原俊基朝臣ノ朝権恢復ヲ圖リテ成ラズ
元弘二年六月三日
北條高時の害二遭ヒ
秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や世に残るらん
ト永キ恨ヲ留メタルハ此ノ處ナリ。
管理人訳
藤原俊基は、政権を鎌倉幕府から朝廷へ回復させようと計画しましたが、失敗しました。
そして元弘2年6月3日(1332年7月)に、北条高時の命により処刑されました。
(その時に俊基が詠んだ句で)「秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や世に残るらん」と深い恨みを残したのはこの場所です。
藤原俊基(=日野俊基)のこの碑の横には日野俊基墓があり、すぐ近くには、日野俊基を主祭神とする葛原岡神社が鎮座しています。
夏の晴れた日であれば苔むした地面に木漏れ日がとても綺麗な場所です。
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