7月の後半、鎌倉駅からも徒歩圏である教恩寺へ参拝に行ってきました。
こんなところにあるの?と思うくらいわかりにくいところにありますが、境内には草木も多く、小さな境内ながらも見どころが豊富なお寺でした。
平重衡ゆかりのお寺ということで、その伝承と見どころも写真を添えて紹介します。
教恩寺の入口はどこ?
Google Mapで教恩寺の場所を確認すると周りに道らしいところがなく、どこから入れば良いかわかりにくくなっています。
鎌倉のお寺と神社とか、Google Mapを見ただけだとどこから入れば良いかわからないところが多いんですよね。
Google Mapで「教恩寺」で検索すればヒットしますが、入口は上記の図の通りです。
小町大路や鎌倉葉山線から1本奥に入ったところにあるので、少し見つけにくくなっています。
レンタサイクルで周りたいけど、駐輪出来るかな?と思った方へ。駐輪場はありませんが、どうにか駐輪するスペースはあります。しかし、あくまでも自己責任で駐輪して下さい。
教恩寺の境内と見どころ
教恩寺の境内の様子と見どころはいくつかあります。
教恩寺の山門の十六羅漢像
上記の写真は教恩寺の入口となる山門です。この山門は最初の見どころです。
山門の上の部分を見てください。彫刻が施されています。これは十六羅漢です。
これが最初の見どころです。
十六羅漢の裏側には牡丹の彫刻が施されています。
山門をぬけて境内へ。
隅切り三の旧鬼瓦
境内に入って左側に「旧鬼瓦」と書かれた鬼瓦が置かれています。屋根の上だと離れているので、大きさがわかりにくいですが、近くで見るとかなり大きいことがわかります。
この鬼瓦が2つ目の見どころです。
鬼瓦の中央に六角形の中に三が描かれた「折敷に三文字」という家紋がありますが、これは教恩寺が時宗であることに関係していると思います。
時宗は、開祖一遍が河野通信(かわの みちのぶ)の孫となる事から、宗紋(宗派の紋)は通信以後が用いた「折敷に三文字となっており、時宗では、もっぱら「隅切り三(すみきりさん)」と呼ぶ宗紋を使っています。
鎌倉幕府の開府の時に鎌倉で行われた酒宴の席順が、源頼朝、北条時政に次いで河野通信が3番目で、「三」と書かれた紙が折敷に置いてあったそうです。このことから、古来使用していた大山祇神社の社紋でもある「折敷揺れ三文字」を改め、席順の紙を上から見た「折敷三文字」の紋を頼朝から貰ったと伝えられています。
なお山門にもこの「隅切り三」が刻まれています。
ちょっとしたお寺にも源頼朝が関係するものがあるのが鎌倉らしいですよね。
犬猫用のお墓
山門を入って右側を見ると「愛」と刻まれ、猫と犬も刻まれているものがあります。
卒塔婆に描かれている文字を見ると「愛猫」「愛犬」と書かれています。
恐らくですが、檀家さんのペット用の共同墓だと思われます。
勝軍地蔵尊をはじめとする仏像
教恩寺の境内にはいくつかのお地蔵様や仏像が点在しています。
犬猫の共同墓の奥には仏像・お地蔵様がいくつも並んでいます。
その隣には「勝軍地蔵尊」と書かれたお地蔵様がありました。
勝軍地蔵に念ずれば、戦いに勝ち、宿業・飢饉(ききん)などを免れるといわれ、鎌倉時代以降に武家に信仰されたお地蔵様とのことです。
勝軍地蔵尊の後ろにある仏像
旧鬼瓦の後ろにあった石仏
草でわかりにい場所にあった石仏ですが、横から見るとお腹が大きく、妊娠シている女性を描いたように見えます。
小さな境内に多くの石仏があるのが教恩寺の3つ目の見どころです。
夏の教恩寺の様子
訪れたのは7月の後半でしたが、枯れかかっていたもののまだ紫陽花が咲いていました。
6月中旬くらいから下旬くらいが見頃ですが7月中旬くらいまでなら見られるかもしれません。
教恩寺の本殿
教恩寺の本殿が4つ目の見どころです。
本殿に掲げられている「中座山」と書かれた扁額
その上に掘られている龍神様
龍神様の左右に取り付けられた唐獅子の木彫りと鳥の木彫り
本堂の戸は少し開いていることが多く、中を見ることが出来ました。
御本尊が見えます。
教恩寺の御朱印所
教恩寺を訪れる目的は、御朱印という方も多いですよね。
御朱印は寺務所ではなく、御朱印所でいただきます。
教恩寺の寺務所は本堂の隣にありますが、インターホンの下に下記のように書かれていました。
「朱印は右どなりの御朱印所へどうぞ」
寺務所の玄関の横を見ると・・・
御朱印所がありました!
ここでインターホンを鳴らして、お寺の方がいれば、御朱印をいただくことが出来ます。
時間は9時から16時と書かれていました。
教恩寺と平重衡のゆかり
鎌倉と言えば源頼朝や北条家で、平家とは因縁がありますが、平清盛の子である平重衡と教恩寺はゆかりがあるそうです。
本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来は、運慶が刻んだものと伝えられていますが明らかではありません。
平家が滅亡し、平清盛の子で東大寺焼き討ちをした重衡が捕えられて鎌倉に連れて来られたとき、頼朝はこの阿弥陀如来像を、一族の冥福を 祈るようにと重衡に与え、彼はこの阿弥陀如来を深く信仰したといわれています。かまくら子ども風土記 77ページより
また教恩寺の山門隣にあった掲示板には下記のように書かれていました。
平重衡は、源平の合戦で、平氏が敗れ、撤退の際、梶原景時に捕らえられ、捕虜として鎌倉へ護送されたのですが、源頼朝の尋問に対しても、武将らしい堂々たる態度と、優雅な物腰の立派な人柄は、頼朝を感嘆させ、捕虜の身でありながら、特別な待遇を受け、頼朝の仕女である千手を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で、重衡と千手の二人は恋に落ち、重衡が護送されるまでのつかの間、癒やされた日を過ごす事が出来たと言われます。
やがて、重衡は奈良へ護送され、文治元年(1185年)6月23日、木津川のほとりで斬首処刑されたのですが、その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏し、そのまま生涯を閉じたとも、又出家したとも言われ、消息不明となってしまったと言われる儚い慈恋の逸話があり、その酒宴を催された場所が今の教恩寺と伝わっています。
こういう悲しい逸話が多いのが鎌倉のお寺らしいですね。
以上、夏の教恩寺への参拝レポートでした。
- 住所:〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1-4-29
- TEL:0467-22-4457
- 御朱印:あり
- 写経:確認中
- 参拝可能時間:24時間
- 寺務所受付時間:9:00~16:00
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