貞宗寺は、鎌倉市植木に鎮座する浄土宗のお寺です。
寺紋は三つ葉葵で、徳川家に縁があることがわかります。
開基は徳川幕府2代目将軍の祖母となる貞宗院であり、徳川幕府歴代将軍(第2代~第14代まで)の位牌が安置されています。
広い境内ではありませんが、竹林があり落ち着けるお寺です。
貞宗寺 詳細とアクセス方法
- 読み方:ていそうじ
- 住所:〒247-0073 神奈川県鎌倉市植木656
- TEL:0467-46-5341
- 御朱印:あり
- 写経:なし
- 参拝可能時間:24時間(夜は不審者に思われる可能性あり)
- 寺務所受付時間:概ね9:00~17:00
- 拝観時間:概ね9:00~17:00
- 拝観料:なし(志納)
- 駐車場:あり
- 駐輪場:バイク・なし/自転車・なし(スペースはあり)
- トイレ:なし
- 宗派・宗旨:浄土宗
- 本尊:阿弥陀三尊
- 山号:玉縄山(たまなわざん)
- 院号:珠光院(しゅこういん)
- 寺号:貞宗寺
- 正式名:玉縄山 珠光院 貞宗寺
- 別称:-
- 創建年:慶長16年(1611年)
- 開山: 暁誉源栄
- 開基:貞宗院
- 公式サイト:準公式 玉縄山 珠光院 貞宗寺
貞宗寺へのアクセス方法・行き方
- 大船駅(西口)バス停から神奈川中央バス「船31・32」系統に乗車、「植木」バス停下車、徒歩4分
- 大船駅(西口)から徒歩約25分(約2km)
- 湘南モノレール「富士見町駅」から徒歩約25分(約1.9km)
道が細い場所にあるため、公共交通機関で訪れるのがおすすめです。
貞宗寺の拝観について
基本的には自由拝観です。
貞宗寺の由緒・歴史
- 慶長16年(1611年):没した貞宗院の遺言によって創建される(大長寺の末寺として)
- 寛文12年(1672年):徳川家綱より鎌倉郡高谷内に寺領10石の寄進を受け、芝増上寺の末寺となる
- 明治6年(1873年)5月:学制発布にともない「玉縄学校」(後の鎌倉市立玉縄小学校)と呼ばれる小学校となる
- 大正12年(1923年):関東大震災によって山門・土蔵・庫裏・本堂などが倒壊する(本堂は後年に再建される)
- 令和以降(2019年):一般墓が作られ始める
貞宗院は、西郷局(さいごうの局)の母であり、徳川幕府2代目将軍・徳川秀忠の祖母となります。西郷局は徳川家康の側室でした。
貞宗寺のご本尊とご利益
- 阿弥陀三尊
一般的に阿弥陀三尊のご利益・御功徳は下記のことがよく言われています。
- 智慧明瞭
- 極楽往生
境内にはいぼとり地蔵があり、イボや皮膚病にご利益があるとされています。
貞宗寺の厄除け・厄年について
基本的に行っていない
貞宗寺の代表的な行事・お祭・縁日
- 8月:施餓鬼法要
貞宗寺の文化財について
文化財として登録されているものはありませんが、下記の物が寺宝とされています。
- 徳川家歴代将軍の位牌
- 西郷局が寄進した蒔絵の食器群
- 大日本校訂大蔵経
徳川家歴代将軍の位牌は徳川家康(徳川幕府初代将軍)および徳川慶喜(徳川幕府15代・最後の将軍)を除く13人の将軍の位牌があります。
貞宗寺の車椅子対応・バリアフリー対応
車椅子対応には特になっていませんが、本堂の前までは車椅子でも行くことが可能です。ただし坂道になっているため、年配者だと介助者が必要です。
貞宗寺の見どころ・おすすめ訪問時期
貞宗寺の見どころは本堂の裏側の竹林や季節の花々です。
10月の中旬くらいは秋桜が綺麗に咲き、春先は梅やサラサモクレンが咲いているので、その辺りの時期に訪れるのがおすすめです。またはコーナンモールに近いのでコーナンモール付近の玉縄桜が綺麗な3月上旬~中旬くらいもおすすめです。
貞宗寺の逸話等
貞宗寺は、1609年(慶長14年)に亡くなった貞宗尼の遺体をその邸内に葬り、2年後に寺に したものです。開山は貞宗尼が生前尊敬していた岩瀬にある大長寺の住職の暁誉源栄(ぎょうよげんえい)です。
貞宗尼(貞宗院)は、2代将軍徳川秀忠を産んだ家康の側室お愛の局 (宝台院)の生母です。
秀忠にとっては母方の祖母にあたる人です。貞宗尼は晩年、江戸城の大奥で御年寄役を務めた後、ここに隠居したといわれています。
寺名は貞宗尼の戒名ともいわれる法名の「貞宗院殿英誉珠光大禅定尼」によるようです。
こうしたことからこの貞宗寺は徳川家との関 係が深く、本堂に三葉葵の紋があるのもそのためです。当時は大門・山門・土蔵・庫裏など寺の建物が整っていて、立派だったようです。寺領十石を寄進された記録もあります。
公開されていませんが、本堂には、本尊の阿弥 陀三尊がまつられています。中央に阿弥陀如来がまつられ、その両脇には、左ひざを立てた観音菩薩と、右ひざを立てた勢至菩薩がまつられて います。ひざを立てた姿の像は珍しいものです。
その脇には善導大師像や法然上人像、貞宗尼像 や開山の暁誉源栄像があります。寺宝として、 貞宗尼が使用したといわれる三葉葵のついた蒔絵の膳などの食器類や大蔵経が残されています。また、貞宗院と徳川幕府代々の将軍の位牌も あります。
境内の入口近くの墓地には、木造の御霊屋が あり、その中に貞宗院の墓といわれる宝篋印塔 が安置されています。
貞宗寺は学制が敷かれた1873年(明治6年) に玉縄学校(後の玉縄小学校)が置かれたところで、玉縄学校が1877年(明治10年)に龍宝寺内に移るまで、玉縄地区の子ども達はここで勉強したそうです。
かつて貞宗寺の裏山は現在よりも東の方へ 50mほど伸びていました。その山すそが象の鼻 のように長くなっていただけでなく、永い間の水の浸食作用によって、形も象の鼻のように見えたことから「象の鼻」と呼ばれていたそうで すが、現在は切り崩されてしまいました。
かまくら子ども風土記 より
運良く?先代の住職に気に入られて非公開の徳川家代々の将軍の位牌も見させていただきました。現在の住職はこの時、市外のお寺で修行をされているとおっしゃられていました。
徳川家のお寺とも言えるため、しばらくは一般のお墓がありませんでしたが時代の流れで墓地が無いとお寺の経営も成り立たないということで一般墓を令和になってから作り始めたと教えていただきました。
貞宗寺の御朱印と札所
札所にはなっていません。
御朱印は1種類のみです。納経代はお気持ちということでした(相場としては500円~)。
なお住職が代替わりしており、今は少し異なる御朱印となっています。
貞宗寺の訪問・参拝・縁日レポート
貞宗寺へ訪れた時の参拝レポートや貞宗寺に関する詳細です。
貞宗寺の関連リンク
貞宗寺の墓地について
一般墓はありますが、区画数は多くなく募集はほとんど行われていません。
一般墓とは別に永代墓地「極楽廟」があり、宗派を問わず募集しています。詳しくは貞宗寺にお問い合わせください。
貞宗寺のフォトギャラリー
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