「アフィリエイト広告」等の広告が掲載してある場合があります

二階堂

鎌倉のその他の史跡

お塔の窪やぐら群

お塔の窪やぐら群は、鎌倉市二階堂にある北条高時を供養すると伝わるやぐらを含む史跡です。住所的には二階堂になっていますが、十二所側から向かうことになります。天園ハイキングコースにも繋がりますが、あまり通る人も多くはなく、やや荒れた登山道となっています。
神奈川県・鎌倉市指定史跡

百八やぐら

百八やぐら(百八やぐら群)は、天園ハイキングコースの覚園寺分岐から覚園寺方面で少し降りていった辺りにあるやぐら群です。一般的なハイキングコースだけだと4つほどのやぐらしか見えませんが、上部に行くとかなり広範囲で多数のやぐらが連なっています。鎌倉市内で最大規模のやぐら群です。
鎌倉のその他の史跡

朱垂木やぐら

朱垂木やぐらは、天園ハイキングコースの十王岩の近くから少し外れたところにあるやぐら及びやぐら群です。一般的なハイキングコースでは無いため、ほとんど人が来ない場所ですが、50ほどのやぐらがあり、鎌倉らしい景観を描いています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

永福寺舊蹟碑(永福寺旧跡碑)

永福寺舊蹟碑(永福寺旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。永福寺跡の東南側の入口に建っています。永福寺はかつて鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つでしたが15世紀初頭に廃絶し、2007年以降に基壇(基礎)が復元され、観光地となっています。
鎌倉の国指定史跡

永福寺跡

永福寺跡は、鎌倉市二階堂にある国指定史跡です。永福寺は12世紀後半に作られた寺院でしたが、15世紀初頭に火災の後廃絶しましたが、2007年以降に復元が開始され、基壇(基礎)と苑池が復元されました。現在は若干の観光者が来るものの、平日は近隣の方が集う公園のようになっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

歌之橋碑

歌之橋碑(歌の橋碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。金沢街道沿い、杉本寺から鎌倉駅方面に少し進んだところにあります。渋川兼守という武士が和歌を詠んだことに関連して作られた橋のため「歌之橋(歌の橋)」とされています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

荏柄天神碑

荏柄天神碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。荏柄天神社の一の鳥居と重なり合う松の木との間に木々で少し見えにくくなっていますが、建てられています。荏柄天神社の由緒に関することが記されています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

理智光寺址碑

理智光寺址碑は、昭和初期に青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。理智光寺は護良親王が墓があったとされるお寺ですが、既に廃寺となっており、理智光寺があった場所として石碑が建てられています。すぐ前には護良親王墓があります。
鎌倉のその他の史跡

護良親王墓

護良親王墓は、鎌倉市二階堂にある後醍醐天皇の第三皇子とされる鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍だった護良親王のお墓です。お墓そのものは一般開放されておらず直接見ることは出来ないようになっています。