太田道灌邸舊蹟碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市扇ガ谷にある英勝寺の境内の中、横須賀線のすぐ前に建っています。
太田道灌は、室町時代後期に関東地方で活躍した武将であり、江戸城を築城したことで有名です。
太田道灌邸舊蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:おおたどうかんていきゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-1
- 建立:1921年(大正10年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
太田道灌邸舊蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(西口)から徒歩約9分(約700メートル)
- 鶴岡八幡宮(三の鳥居)から徒歩約7分(約550メートル)
駐車場が無いため、鎌倉駅や鶴岡八幡宮から歩いてくることをおすすめします。
太田道灌邸舊蹟碑の写真と碑文と意味
此ノ地ハ武略文藻兼ネ備ヘ忝クモ
武蔵野は萱原の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな
テフ叡感ニサヘ預リタル
道灌太田持資ガ江戸築城前ノ邸址ナリ
寛永十一年今ノ英勝寺ト為ル
其ノ創立者水戸藩祖頼房ノ准母英勝院ハ
道灌ノ嫡流太田康資ノ女ナルヨリ晩年将軍家光ヨリ特ニ此ノ地ヲ授リテ
之ニ住スルニ至レルナリ
孤鞍雨ヲ衝イテ茅茨ヲ叩ク少女為ニ遺ル花一枝ノ詩趣アル逸話ハ
道灌ガ壮年猶此ニ在リシ日ニ於テ演ゼラレシ所ノモノナリ
管理人訳
この場所は、武略と文才を兼ね揃え、恐れ多くも「武蔵野は萱原の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな」と詠んで天皇も感動された太田道灌(太田持資)の江戸城の築城前の邸宅の跡地です。
寛永11年Z(1634年)に今の英勝寺になりました。その創立者の水戸藩の祖、徳川頼房の准母(養母)の英勝院は、太田道灌の本家の家系である太田康資の娘で、晩年に将軍徳川家光からこの地を授かり、ここに住むようになりました。
太田道灌がひとり馬にまたがって雨の中を進み(雨具を借りようと)茅葺の家を訪ねると少女が花一枝を差し出したという詩的な逸話は太田道灌がこの場所に住んでいた頃のものです。
太田道灌邸舊蹟碑の前は道で、更にその前はJR横須賀線が走っていますが、太田道灌が住んでいた頃は全く違う景色だったことが忍ばれます。
太田道灌邸舊蹟碑付近の観光スポット
- 英勝寺
- 寿福寺
- 八坂大神
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