お塔様は、鎌倉市山崎にある宗高院と呼ばれた女性のお墓と伝わる五輪塔です。
宗高院は江戸時代初期の慶安年間(1648~1651年)ごろまで領主であった奥平氏の娘です。
お塔様 詳細とアクセス方法
- 読み方:おとうさま
- 建立:不明
- 管理団体:不明
- 住所:〒247-0066 神奈川県鎌倉市山崎
- TEL:-
- 拝観可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 拝観料:なし
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:なし
お塔様の場所とアクセス方法・行き方
- 湘南モノレール「湘南町屋駅」から徒歩約9分(約550メートル)
道が狭いのと駐車場もないため、歩いていくことをおすすめします。
なお非常にわかりにくい場所にあるので見逃さないようにして下さい。
お塔様の由緒・歴史
不明
言い伝えが正しければ17世紀後半に建てられた可能性があります。
お塔様 山崎集会所の脇の道を南に入り100mほど行くと、右手に寺分の住宅地に抜ける道があります。その道を30mほど上り、道が二つに分かれるところを左に少し行くと右側に階段があります。そこを上ると「お塔様」と呼ばれる祠があり、五輪塔が1基まつられています。
ここは、江戸時代初期の慶安年間(1648~1651年)ごろまで領主であった奥平氏の娘で、宗高院と呼ばれた人の墓といわれています。
なお宗高院の名前は小袋谷にある「成福寺」の言い伝えにも出てきます。
成福寺
山門は四脚門という前後に柱があるもので、 江戸時代の中期に造られた、もとは山崎の崇高院(宗高院)の館跡にあったものだそうです。江戸時代の初めごろ、山崎に領主奥平氏の娘 で崇高院という人が住んでいました。
この人がこの寺で教えを受けたときに、屏風などの宝物と一緒に自分の家の門を寄付してここに建てたのだと伝えられています。
崇高院と宗高院で微妙に名前が異なりますが、漢字がいつのまにか変化して伝わることは時折あることなので、同一人物である可能性が高いと思われます。
ただ崇高院という方の情報が少なすぎたり、伝わる内容からも正確な情報がなさそうで、実際のところ「お塔様」がどういう経緯でここにあるのか不明です。
お塔様の文化財について
文化財として登録されていません。
お塔様の備考
この辺りは、実は史跡が多いエリアですが、先に開発が進んだためかなりの数の史跡が消えたエリアだと考えられます。
もっとも鎌倉時代ではなく江戸時代初期くらいのものが多いようです。
お塔様の関連リンクや近隣の観光スポット
- 鎌倉中央公園
お塔様のフォトギャラリー
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