鎌倉でも人気の観光スポットである鎌倉大仏、よく見ると新しい発見があります。
鎌倉大仏を見に行った時に、ちょっとウンチクを言えるようになる鎌倉大仏の外観を紹介します。
知って見に行くと少し見る視点も変わりますよ。
鎌倉大仏の全体像
まずは鎌倉大仏の四方を紹介します。
鎌倉大仏はほぼ南を向いているので、午前中だと左側から撮影すると逆光気味になって、晴れていても空は青く撮影しにくくなってます。
午前中なら右側から撮影するのがおすすめです。
それぞれの側面、左側面には胎内拝観用の入口があります。
背面の上部には窓?があります。なんとなく、天使の羽に見えませんか?
鎌倉大仏の爪
鎌倉大仏を近くで見た時によく見てもらいたいのが爪です。
同じ手の形をしようとするとかなり難しいのですが、爪が意外と長いんですよね。長いというのは言い過ぎかもしれませんが、深爪ではなく、普通の長さになっています。
鎌倉大仏の顔・頭部とおでこのポッチと耳たぶ
そしてよく見て欲しいのが顔・頭部です。
正面から見るとわかりにくいですが、おでこについているポッチは「白毫(びゃくごう)」と正式には言います。
白毫って何?と思いますよね。簡単に言えば白い毛です。渦を巻いた毛とのことです。
ズームで見るとトグロを巻いているのがわかります。 一般的には右巻きとのことですが、鎌倉大仏は左巻きとのことです。
なお髪の毛はパンチパーマと言われますが、これは「螺髪(らほつ)」と言い、これは左巻きとのことです。この螺髪、鎌倉大仏は656個あるそうです(奈良の大仏は966個)。
そしてもう1つ、目をよく見てください。
切れ長の目は、閉じているようにもうっすらと開いているようにも見えますが、目は開いており、瞳もあります。
そして耳には大きな穴、これはピアス穴です。
いやいや、嘘でしょ?と思うかもしれませんが事実です。
元々仏教はインドで生まれたもので、インドでは古代、貴族の男性は「耳璫(じとう)」という現代風に言えば豪華なピアスをつける習慣があり、その風習に由来しているそうです。
出家したので、ピアスは外したものの、耳の穴は残っているということです。
鎌倉大仏の歴史
鎌倉の大仏は、正確には誰が作ったのか諸説あり、明確にはわかっていません。
通説では下記のような歴史になっています。
- 暦仁元年(1238年):深沢の地(現・大仏の所在地)で大仏堂の建立が始められる(大仏は木像)
- 寛元元年(1243年):開眼供養が行われるが失われる
- 建長4年(1252年):銅造の大仏の建立が始められる
高徳院にある説明板の説では、源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局(いなだのつぼね)が発起し、僧・浄光が勧進(資金集め)して造ったとされ、零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものでは無いとしています。
ただ当時の鎌倉で民間でこれだけのものを作る金銭を集められたのか?という点に関しては懐疑的であり、やはり鎌倉幕府の後ろ盾があったのではないか?ということも言われています。
もっとも謎が残っている方が惹かれますよね。
ただ大仏の前に置かれた賽銭箱には、笹竜胆の紋が描かれていますが、笹竜胆の紋は源家の家紋とされています。
鎌倉大仏の後ろには笠塔婆が建っていますが、これは稲多野局のものとされています。
以上、高徳院の鎌倉大仏の外観と歴史についてでした。
高徳院
- 住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
- TEL:0467-22-0703
- 御朱印:あり
- 写経:なし
- 参拝可能時間:4~9月:8:00~17:30/10~3月 8:00~17:00(最終15分前入場)
- 寺務所受付時間:8:00~16:30
- 拝観時間:4~9月:8:00~17:30/10~3月 8:00~17:00(最終15分前入場)
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