由比ヶ浜は、鎌倉市の由比ガ浜から長谷2丁目あたりまでの海岸です。
鎌倉の海と言えば、由比ヶ浜を想像する人も多く、海水浴場としても有名で、鎌倉駅から徒歩圏ということもあり、多くの人が訪れます。
鎌倉の海を眺めに訪れる人は年間を通じて多く、観光スポットにもなっています。
なお正確な書き方は「由比ヶ浜」なのか「由比ガ浜」なのか悩む方もいるかと思いますが、一般的に海岸を表す時は「由比ヶ浜」で、地名を表す時は「由比ガ浜」と書かれることが多いです。江ノ電の駅名は「由比ヶ浜駅」です。
由比ヶ浜は、鎌倉市の由比ガ浜から長谷2丁目あたりまでの海岸です。
鎌倉の海と言えば、由比ヶ浜を想像する人も多く、海水浴場としても有名で、鎌倉駅から徒歩圏ということもあり、多くの人が訪れます。
鎌倉の海を眺めに訪れる人は年間を通じて多く、観光スポットにもなっています。
なお正確な書き方は「由比ヶ浜」なのか「由比ガ浜」なのか悩む方もいるかと思いますが、一般的に海岸を表す時は「由比ヶ浜」で、地名を表す時は「由比ガ浜」と書かれることが多いです。江ノ電の駅名は「由比ヶ浜駅」です。
夏場の海の家の営業時間は由比ガ浜海水浴場オフィシャルサイト等を参考にして下さい。
夏場は駐車場が満車になっていたり渋滞になっていることが多いため、公共交通機関で訪れることをおすすめします。
由比ヶ浜の現在のエリアは、滑川の西側から稲瀬川までの間とされています。
本来の範囲は上記の図(写真)の狭い範囲を示す「由比ヶ浜」ですが、坂ノ下海岸を含めて由比ヶ浜と言う人もいます。
狭い範囲でも約600メートルあります。
由比ヶ浜から東側は材木座海岸、稲瀬川より西側を坂ノ下海岸と言います。
また由比ヶ浜は基本的に鎌倉市由比ガ浜という住所ですが、一部は鎌倉市長谷2丁目も含んでいます。
なお元々は材木座海岸の飯島(和賀江島よりやや北側)から稲村ヶ崎までの範囲を由比ヶ浜と呼んでいました。
由比ヶ浜は下記の景勝地として登録されています。
由比ヶ浜に訪れるのにおすすめの時期と現地から撮影した写真です。
海水浴で訪れるのであれば海水浴シーズンの7月中旬くらいから8月くらいまでがおすすめです(2020年・2021年は感染症のため海水浴場としては閉鎖)。
見に訪れる場合は、年間を通じて大丈夫です。ただし材木座海岸や稲村ヶ崎も訪れるのであれば富士山が見えることが多い11月から2月くらいの晴れた日がおすすめです。
由比ヶ浜は、鎌倉時代やその前後に様々な伝承を残す場所となっています。
鎌倉時代には、前浜ともよばれ、 小笠懸などの武技を行う場所に使われました。また、将軍が伊豆・箱根の神社に参拝するときには、必ずこの海で身を清めたといわれています。
1193年(建久4年)8月15日に、 将軍源頼朝はこの浜で行われた、 鶴岡八幡宮の最も大切な 行事である「放生会」で、鳥獣の供養をするために鶴を放したといわれています。
また、1180年(治承4年) の頼朝に味方した三浦義澄と敵対した畠山重忠の対陣や、 1213年(建保元年) の和田義盛の合戦、 1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めなどの古戦場です。
こうした勇ましい話のほかに、悲しい話もあ ります。
1186年(文治2年)8月、頼朝の家来の安達 新三郎は、静御前が生んだ男の児 を、頼朝の言い付けでこの海に投げこんだといいます。静はそのとき 17歳でした。母の磯の禅尼と一緒に捕えられて鎌倉の新三郎の屋敷に預けられ、義経の行方について取り調べられていました。しかし、静が何も答えなかったため、 鎌倉方でもこれ以上調べても無駄だと調べは打ち切られました。 お腹の中の子については、「生まれた子が女なら連れて帰って育ててもよいが、もし男なら幕府が取り上げる。」ということになりました。 「どうぞ女の子が生まれま すように。」という静の願いも空しく、8月29 日に男の子が生まれ、由比ヶ浜で殺されました。その後、静は京都へ帰り、尼になったといいます。
かまくら子ども風土記 135ページより
新田義貞の鎌倉攻めや静御前(源義経の妻)の稚児の話は有名です。
由比ヶ浜の詳細や実際に由比ヶ浜に訪れた時の訪問レポートです。
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