朝夷奈切通は、鎌倉を代表する7つの切通「鎌倉七口」の1つです。
切通の半分は横浜市金沢区にあります。非常に美しく切通らしい切通の姿で残っており、散策・ハイキングで訪れる人も多くなっています。
なお現在の地名に合わせて「朝比奈切通」と呼ばれることもあります。
初夏は新緑、秋は紅葉も美しい場所です。
朝夷奈切通の詳細とアクセス方法
- 読み方:あさいなきりとおし
- 文化財登録:国指定史跡
- おおよその住所:〒248-0001 神奈川県鎌倉市十二所
- 管理団体:鎌倉市
- TEL:0467-61-3857(鎌倉市文化財課)
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料(入場料):無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:なし
朝夷奈切通へのアクセス方法(始点)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24」系統に乗車、「十二所神社」バス停で下車・徒歩約10分
三郎の滝(朝比奈の滝)と呼ばれる小さな滝が鎌倉市側の始点となっています。
朝夷奈切通へのアクセス方法(終点)
- 京浜急行「金沢八景駅」から、京急バス「船08・金24・金25・鎌24」系統のバスに乗車、「朝比奈」バス停で下車、徒歩3分
始点から終点まで、健脚な方で徒歩20分弱くらいなので、往復をしても1時間ほどで戻ってこれます。
鎌倉駅から鎌24「金沢八景駅」行きのバスに乗り、十二所神社前か朝比奈のバス停で降りれば良いので、普段京急本線を使っていない場合は、鎌倉駅から向かうのがおすすめです。
朝夷奈切通の歴史・由緒
朝夷奈切通は、いわゆる鎌倉七口の一つに数えられる切通で、横浜市金沢区六浦へと通じる古道(現在の県道金沢鎌倉線の前身)です。 鎌倉時代の六浦は、鎌倉の外港として都市鎌倉を支える重要拠点でした。『吾妻鏡』には仁治2年(1241) に、幕府執権であった北条泰時の指揮のもと、六浦道の工事が行われた記事があり、これが造られた時期と考えられています。
その後、朝夷奈切通は何度も改修を受けて現代にいたっています。 丘陵部に残る大規模な切岸 (人工的な崖) は切通道の構造を良く示しており、周辺に残るやぐら(鎌倉時代頃の墓所) 群・切岸・平場や納骨堂跡などの遺構と共に、中世都市の周縁部の雰囲気を良好に伝えています。
説明板には上記のように書かれています。
これとは別に伝承も残っています。
鎌倉時代、北条泰時が執権 であったころの1240 (仁治元年)、鎌倉と六浦 の間に道路を造ることに決めました。 さっそく 御家人が手分けして測量し、執権自らも実地検分をしました。翌年4月5日から工事にかかり、 泰時自身もその工事に臨みました。いつごろ出来上がったかはっきりわかりませんが、 あまりにも早くこの道ができ上がったため、江戸時代 になると朝夷奈三郎義秀という強い武士が一夜でこの峠を切り開いたという伝説ができました。 朝夷奈切通の名もここから起こったのです。
朝夷奈三郎義秀は、源頼朝に早くから仕えて初代の待所別当に任命された和田義盛の三男です。 義盛は三浦半島の和田から出た人で、三浦氏の一族として頼朝のもとに加わったすぐれ た鎌倉武士の手本のような人でした。その子の 義秀も早くから武勇で評判をとりました。
かまくら子ども風土記 69ページより
朝夷奈の名は、朝夷奈三郎義秀から取られたと言われていますが、朝夷奈三郎義秀は鎌倉殿の13人の1人だった和田義盛の三男です。
朝夷奈切通の訪問レポートと関連リンク
朝夷奈切通に訪れた時のレポートおよび関連リンクです。
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