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極楽寺坂切通

極楽寺坂切通 鎌倉の切通

極楽寺坂切通は、鎌倉を代表する7つの切通「鎌倉七口」の1つです。

鎌倉時代は京都方面から鎌倉に入る際の交通路として重要な場所でした。ただ現在は切通としての面影はほとんどなく、左右に切り立った壁(崖)がある坂道くらいにしか見えず、極楽寺坂だけをわざわざ見に行く人はかなり少ないです。

ただ人気の寺社である成就院御霊神社へ向かう道になっており、通る人は多い坂です。

なお「極楽寺切通」「極楽寺坂」と呼ばれることもあります。

極楽寺坂切通の詳細とアクセス方法

  • 読み方:ごくらくじざかきりとおし
  • 文化財登録:-
  • おおよその住所:〒248-0023 神奈川県鎌倉市極楽寺1-1
  • 管理団体:鎌倉市
  • TEL:0467-61-3857(鎌倉市文化財課)
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料(入場料):無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 車椅子対応:特にされてないが一般道のため通行は可能
  • 公式サイト:なし

極楽寺坂切通へのアクセス方法(始点)

  • 江ノ電「極楽寺駅」から徒歩約2分

概ね地図上の桜橋から東側に少し進んだ辺りからが、現在の極楽寺坂です。

極楽寺坂切通へのアクセス方法(終点)

  • 江ノ電「長谷駅」から徒歩約5分(約400メートル)
  • 江ノ電「極楽寺駅」から徒歩約5分(約400メートル)

極楽寺坂切通の終点(坂の下)は概ねですが、星ノ井と呼ばれる井戸の跡からです。

始点と終点どちらから向かうのが良いかと言えば、極楽寺坂だけを見学する人は少なく、通常は極楽寺と成就院を見て長谷駅方面へと進み御霊神社や長谷寺に向かうと思うので、始点とした極楽寺駅側から向かうのがおすすめです。

極楽寺坂切通の歴史・由緒

星ノ井や虚空蔵堂を右に見ながら上る坂道は、 極楽寺坂とも呼ばれており、極楽寺の忍性が切り開いたと伝えられています。 むかしの道は今の成就院の高さくらいだった そうですから傾斜が急で、幅も狭かったようです。 七切通の一つで、七里ヶ浜を通って藤沢に 通じていたので、都との往復の大事な出入口であったと思われます。

しかし、この切通がいつ切り開かれたかは分かりません。 鎌倉時代には仏法寺跡の辺りを通っていたという意見もあります。

北条重時が晩年、念仏生活に入るために極楽寺を建て、この土地を領有していましたが、 こ のことは鎌倉を守るための政治的 軍事的な必要があったからでしょう。 したがって、いざというときは固く閉ざすことができる道だったのです。鎌倉幕府滅亡の際の古戦場としても有名な所です。

『太平記』 には 「元弘三年(1333年)、新田義貞が鎌倉に攻めこんだとき、この切通に大舘宗氏が大将として10万の兵を進めた。 一度は北条方が敗れたが、すぐ押し返され、大舘氏一族以下は戦死をしてしまった。 新田義貞は5月21日夜、すぐさまかけつけて月の光にすかしてみると、切通には北条方のとりでが山の高い所まで築かれ、数万の兵士がひしめいて攻めにくいことをさとり南の稲村ヶ崎にまわった。」 ということが書かれています。

かまくら子ども風土記 155・156ページより

極楽寺の寺伝によれば、実質的な開祖である真言律宗の僧・忍性が最初に切り開いたとしています。そうなると1267年から1303年の間に極楽寺坂切通は作られたことになります。

極楽寺坂切通の訪問レポートと関連リンク

に訪れた時のレポートおよび関連リンクです。

極楽寺坂切通の訪問レポート

極楽寺坂切通は、成就院ルートで見る方がおすすめ

極楽寺坂切通の関連リンク・近隣観光スポット

極楽寺坂切通のフォトギャラリー

極楽寺坂切通

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