鎌倉七口・鎌倉七切通とは何か?有名な歴史ある7つの切通

鎌倉七口・鎌倉七切通とは何か?有名な歴史ある7つの切通 切通に関すること

鎌倉七口は、三方を山で囲まれた鎌倉に入るために作られた切通のうち、特に有名なもの・主要なものを7つ選んだものです。

必ずしも鎌倉時代に作られたものとは限らず、江戸時代初期に鎌倉名数の1つとして言われるようになったとされています。

鎌倉七口と言われるのが一般的ですが、鎌倉七切通・鎌倉七切通し とも言われることがあります。

鎌倉七口の7つの切通

鎌倉七口は下記の7つの切通です。

  • 極楽寺坂切通
  • 大仏切通
  • 化粧坂
  • 亀ヶ谷坂
  • 巨福呂坂
  • 朝夷奈切通
  • 名越切通

極楽寺坂切通

極楽寺坂切通

江ノ電「極楽寺坂駅」からほど近い場所にある切通です。観光では極楽寺から成就院を経て、坂ノ下の御霊神社に行く時に通ることが多くなっています。

歴史的にはいつ作られたのか不明な点はあるものの、新田義貞の鎌倉攻めの激戦地の1つとなったことや伝承から1260年から1303年くらいの間に作られた切通と言われています。

ただ現在は一般道として整備され、切通としての雰囲気はほとんど無くなっています。

大仏切通

大仏切通

大仏切通は、鎌倉大仏から北西にむかった大仏トンネルの脇から入り、常磐方面に抜けるハイキングコースのような形で残っています。

作られたのは、仁治2年(1241) から建長2年(1250) ごろと言われていますが、今の形は明治時代に整備された状態であると言われています。

しかし切通としての雰囲気を残しており、訪れる人も少なくない切通です。

化粧坂

化粧坂切通 下り

化粧坂・化粧坂切通は、源氏山公園の一画にある切通で、七口の中でも特に急な坂道で有名でした。

現状はハイキングコースとして通る人も多いのですが、切通としての雰囲気は若干は残るものの、切通らしさはあまりありません。

吾妻鏡と言われる鎌倉時代に書かれた歴史書の中で、建長3年(1251) には名前が登場しており、かなり古い歴史を持つ切通です。

亀ヶ谷坂

亀ヶ谷坂

北鎌倉と鎌倉駅方面の扇ガ谷を結ぶ亀ヶ谷坂切通は、現在は整備され生活道路としても使われています。

ただ切通らしさは残っており、鎌倉散策で通る人も多くなっています。

いつ作られたのかは不明ですが、13世紀中頃には切通として使われていたと言われており、歴史的にも古い切通です。

巨福呂坂

巨福呂坂

鎌倉七口の中でも最も切通らしさが失われ、普通の道路にしか見えません。

歴史的には、北条泰時が執権の時に整備されたということで、1224年から1242年の間に作られたものと考えられます。

元々切通があった場所は途中、私有地になっており全部を通して歩けるようにはなっていません。

朝夷奈切通

朝夷奈切通

鎌倉七口の中で最も切通らしい雰囲気を残して、一番見て欲しい切通です。なお現在の地名に合わせて「朝比奈切通」と呼ばれることもあります。

歴史的には、仁治2年(1241) に、幕府執権であった北条泰時の指揮のもと工事が行われたとされています。

入口は鎌倉側と横浜側があり、それぞれバス停からそれほど遠くも無いため、比較的訪れやすい切通です。

名越切通

名越切通

名越切通は、逗子市と鎌倉市にかけて作られた切通です。

吾妻鏡という歴史書の中には、天福元年(1233)に登場しており、かなり古くからあったことが伺えます。

近隣には「まんだら堂やぐら群」という鎌倉周辺で最大規模のやぐらもあります。

鎌倉七口以外の切通

鎌倉七口の切通がよく紹介されますが、鎌倉七口以外にも鎌倉市内には10ヶ所以上の大小の切通があります。

有名なところでは、釈迦堂切通高野の切通などがあります。

鎌倉七口が有名なため、七口以外の切通は見ても大したことが無いと思われているところも若干見受けられますが、切通の面影が既に無い巨福呂坂切通や極楽寺坂切通に比べれば、もっと切通らしい、素晴らしい切通もあります。

当サイトとして、おすすめの切通は下記にまとめてあるので、是非ご覧ください。

以上、鎌倉七口・鎌倉七切通についてでした。

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