亀ヶ谷坂(亀ヶ谷坂切通)は、鎌倉を代表する7つの切通「鎌倉七口」の1つです。
切通としての姿を残しつつも、舗装された道になっており北鎌倉から扇ガ谷に抜ける近道として生活道路にもなっています。
初めての切通散策におすすめです。
亀ヶ谷坂の詳細とアクセス方法
- 読み方:かめがやつざか
- 文化財登録:国指定史跡
- おおよその住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷3/山ノ内1520 付近
- 管理団体:鎌倉市
- TEL:0467-61-3857(鎌倉市文化財課)
- 見学可能時間:24時間(夜はやや危険)
- 見学料(入場料):なし
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 車椅子対応:舗装されているので車椅子でも通行可能です
- 公式サイト:なし
亀ヶ谷坂へのアクセス方法(始点)
- 北鎌倉駅から徒歩約11分(約800メートル)
- 鎌倉駅から江ノ電バス「A21・N2・K4」系統に乗車、「建長寺」もしくは「上町」バス停下車・徒歩約2分
地図上では長寿寺になっていますが、亀ヶ谷坂の北鎌倉側は、長寿寺の横の道から始まっています。
亀ヶ谷坂へのアクセス方法(終点)
- 鎌倉駅から徒歩約13分(約1km)
- 北鎌倉駅から徒歩約20分(約1.4km)
岩船地蔵堂を終点にしていますが、実際にはここから200メートルほど北に進んだあたりから、切通の雰囲気が伺えるようになってきます。
始点と終点、どちらから入るのがおすすめかは、どういう目的で亀ヶ谷坂を通るかで変わります。どちらが楽かと言えば北鎌倉側から入る方が若干楽なように思います。
亀ヶ谷坂の歴史・由緒
この道は、扇ガ谷と山ノ内とを結ぶ、亀ヶ谷坂と呼ばれる切通です。切通とは、山を切り開いて造られた道のことで、交通を容易にするとともに、防御の拠点ともなっていました。
亀ヶ谷坂が造られた正確な時期はわかりませんが、13世紀の中ごろには切通として整備されていたようです。『吾妻鏡』によれば、幕府が鎌倉市中の7箇所の商業区域の1つとして 「亀谷辻」を指定しており、建長寺や円覚寺などの大寺院が建立された山ノ内と鎌倉市中を結ぶ亀ヶ谷坂は、経済的にも、軍事的にも、重要な場所だったことがわかります。
江戸時代には「鎌倉七口」の1つに数えられるようになり、 現在も生活道路として利用されてい ます。
説明板には上記のように書かれています。
薬王寺の前の道をさらに 200mほ上って行くと、国の史跡に指定されている ヶ谷坂の切通になります。鎌倉七切通の一つで、これを越えると長寿寺の脇を通ってバス道路に出ます。
亀ヶ谷坂の上り口の右側に、明治時代に日蓮の研究をして高山村牛に影響を与えた田中智学の「師子王文庫」 があり、その石碑が立っています。
この切通のあたりは北側が山ですが、南側は開けていてとても暖かです。 付近には鉱泉も湧いて湿地が多いので、蛇や亀がたくさんいたところだったともいわれます。
亀ヶ谷坂は今でも急な坂道ですが、昔はもっと急な坂だったようです。あるとき、建長寺の 大覚池にいた亀が、「たまにはこの世を見てみたい。」 と思ってこの坂を上って行きましたが、頂上まで行くことができずに引き返して来たことから、亀返坂といわれるようになり、それがい つのころからか亀ヶ谷坂となったという話が伝わっています。
この坂の北側を延寿堂谷といいます。 今は墓地ですが、 ここに、 昔建長寺の僧達が体を悪く した時に療養した延寿堂があったので、それが谷の名になったようです。
扇ガ谷と山ノ内を結び、武蔵方面へも通じる道です。
かまくら子ども風土記 116・117ページより
建長寺の池の亀とされていますが、現在は建長寺の塔頭である回春院の前の池(大覚池)のことです。
鎌倉七切通しの一つで、源頼朝が初めて来た頃は、北から鎌倉へ入る道は此処だけでした。
鎌倉市のホームページでは源頼朝が鎌倉に来た頃はこの道だけだったと書かれています。
ただし、鎌倉時代にこの位置に道があった確実な証拠はない。一般に流布している仁治元年(1240年)に北条泰時が開削したとの説は、『吾妻鏡』の同年10月10日および19日の条に依拠しているが、そこに書かれているのは「山内の道路を造らるべきの由その沙汰有り」であり、道筋はここ亀ヶ谷坂、そして巨福呂坂のどちらもが考えられる。
Wikipediaの説明では、鎌倉時代に亀ヶ谷坂があったのか確実な証拠は無いとしており、実際にはいつ頃出来た道なのかは不明なようです。
亀ヶ谷坂の訪問レポートと関連リンク
亀ヶ谷坂に訪れた時のレポートおよび関連リンクです。
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