鎌倉湖は、正式名は散在ガ池(さんざがいけ)という人工池(人造湖)です。
散在ガ池森林公園の中にあり、鯉や亀、カモ類などの野鳥を見ることが出来ます。また春は桜、秋は紅葉が美しく散策に訪れる人も多いです。
心霊スポットとしても有名で、いろいろな噂話があります。
鎌倉湖(散在ガ池) 詳細とアクセス方法
- 読み方:かまくらこ(さんざがいけ)
- 施設管理者:鎌倉市(指定管理者:公益財団法人鎌倉市公園協会)
- 住所:〒247-0053 神奈川県鎌倉市今泉台7-1
- 電話番号:0467-47-1176(散在ガ池森林公園管理事務所)
- 営業時間:8:30~17:15(12/29~1/3 休園)
- 駐車場:なし
- トイレ:あり
- 売店:なし
- 車椅子対応:非対応
- 公式サイト:なし
鎌倉湖(散在ガ池)の場所とアクセス方法・行き方
- 北鎌倉駅から徒歩約45分(約3.1km)
- 大船駅から江ノ電バス「N5・N55・N59」系統に乗車、「今泉不動」下車・徒歩約5分
車が便利ですが、駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。
鎌倉湖(散在ガ池)の景勝地等の登録状況
- かまくら景観百選「散在ケ池」
かまくら景観百選に選定されています。
鎌倉湖(散在ガ池)のおすすめの時期と景色
鎌倉湖(散在ガ池)に訪れるのにおすすめの時期と現地から撮影した写真です。
鎌倉湖(散在ガ池)のおすすめの時期
年間を通しておすすめですが、特におすすめなのが3月下旬から4月上旬の桜の時期と、11月下旬から12月中旬にかけての紅葉の時期です。
鎌倉湖(散在ガ池)の景色・フォトギャラリー
鎌倉湖(散在ガ池)の歴史・伝承と関連リンク
鎌倉湖は後につけられた名称で、正式名やもともとの名称は、散在ガ池です。
この辺りを宅地造成する際に、イメージアップのために鎌倉湖としたと言われています。
鎌倉湖は、水争いが絶えなかったこの地域に1864年(元治元年)頃に田畑への灌漑用の池として、もともとあった水源を利用することが決まり、1869年(明治2年)代官であった小菅谷(今の横浜市栄区) の梅澤与次右エ門が中心となり、堰を築いて今の池に近い状態に作り上げたと言われています。
堤防の長さが220m、幅が18mもあったそうです。ただし実際には長さ70メートル・幅5.5メートルと言われています。
もし堰が崩れたら水田が全滅してしまうとして、初めは反対した人も多かったのですが、 水争いも困るので造られたそうです。
1957年(昭和32年)に大船土地改良区(代表市川治朗)が結成され鎌倉湖(当時は散在ケ池」の改修(堤高13.3m、堤長56.5mの土堰堤)を行い、1959年(昭和34年)に完成しました。
その後、1967年から1968年(昭和42年~43年)にかけて宅地造成があり、調整池としての機能整備が整えられました。
鎌倉湖には次の伝承があります。
昔、このあたりに長野丸という長者が住んでいました。あたりの田畑はすべて長者のもので、 なにひとつ不自由のない暮らしでした。でも、どうしたことか、この長者夫婦にはひとりも子どもがなかったので、
「どうか子どもをお授けください。」
と毎日氏神様にお祈りをしていました。 夫婦の真心が神様に通じたのか、ある夜、夢のなかに神様が現れ、
「男の子を授けよう。 だが決して池の魚を殺してはいけないぞ。」
とお告げがありました。
4~5日たつと、 かわいい男の子が生まれました。 長者夫婦は喜んで男の子に神次と名をつ けました。
夫婦のかわいがりようは、なみたいていではありませんでした。 神次はすくすくと育ちました。 夫婦は神様のお告げを守り、神次を池の方へは絶対行かせませんでした。
しかしその後、
「長者の息子は、一人であの大うなぎのいる池にでかける。」
といううわさが、田畑で働いている村人達の間に広まっていきました。
そのうわさが、 長者夫婦の耳に入り、長者は気も狂わんばかりに驚きました。それから神次 が外に出るときに、見張りの者をつけてみると、 神次は池の魚を取っているということがわかりました。
長者はいっそう心配して氏神様にお許しを願いました。
神様から、
「家に引きこもらせて外に出してはならぬ。」
ときついお告げがありました。
その日から、神次は、家の外へは一歩も出ることができなくなってしまいました。 元気だった神次は、だんだんやせ細り、死がだんだん近づいてきました。
神次は、
「もう一度だけ池を見せてください。」
とやせて落ちくぼんだ目から涙を流して長者に頼みました。
長者夫婦は、かわいそうに思って息子の願いを聞き入れ、付き添って池にいきました。池は、うっそうと茂った薄暗い森の影を映して、無気味に静まりかえっていました。神次は、急に元気になって、 止めるのも聞かず池に飛びこんでしまいました。
しばらくして池が真っ赤に染まりました。 神次は、池の主のうなぎを殺してしまったのです。
その後には、波紋が薄暗い森の影をくずして、池いっぱいに広がり、しばらく水中から異様な うなり声が聞こ えたのでした。
それが神の怒りにふれた神次の最期でした。
夏の水の少ないときでもかれないこの池は、 うなぎのとても良いすみかだったのでしょう。
このお話は、子ども達へ水の危険を教えたり、水泥棒を防ぐための村の人達の知恵であったのではないでしょうか。
かまくら子ども風土記 224ページより
もともと鎌倉湖では子どもの水難事故が多く、子どもを近寄らせないために作られた伝承と言われています。
ただ池が完成したのが明治に入ってからなので、明治時代に作られた伝承です。
なお心霊スポットとして有名ですが、出典がよくわからない「入水自殺」「死体遺棄事件」が元になっており、本当にこれらの事件があったのかさえ不明です。
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