巨福呂坂(巨福呂坂切通)は、鎌倉を代表する7つの切通「鎌倉七口」の1つです。
鎌倉七口の中では最も切通の面影が無い坂になっています。そのため切通跡とした方が正確で、更に途中から私有地となり通行出来なくなっています。
ただ途中に庚申塔や古くからの神社があり、歴史は感じられるようになっています。
現在、一般的に言われる鶴岡八幡宮北西側から北鎌倉を結ぶ巨福呂坂切通は明治になってから開かれたものです。
小袋坂と表記されることもあります。
巨福呂坂の詳細とアクセス方法
- 読み方:こぶくろざか
- 文化財登録:国指定史跡
- おおよその住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-7 付近
- 管理団体:部分的に鎌倉市
- TEL:0467-61-3857(鎌倉市文化財課)
- 見学可能時間:24時間
- 見学料(入場料):なし
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 車椅子対応:なし(ただし一般道なので車椅子でも通行可ですが新道は道幅に難あり
- 公式サイト:なし
巨福呂坂へのアクセス方法
- 鎌倉駅から徒歩約15分(約1km)
行き止まりとなるため、一番奥まで進んできた後は戻ってくることになります。
現・巨福呂坂へのアクセス方法(始点)
- 鎌倉駅から徒歩約15分(約1km)
現在の巨福呂坂をどこからどこまでという明確なものはありませんが、概ね地図上の「二十五坊旧蹟碑」くらいからが、鎌倉駅側になります。
現・巨福呂坂へのアクセス方法(終点)
- 北鎌倉駅から徒歩約13分(約1km)
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約23分(約1.6km)
- 鎌倉駅から江ノ電バス「A21・N2・K4」系統に乗車、「建長寺」バス停下車・徒歩1分
巨福呂坂の北鎌倉側は、建長寺に巨福呂稲荷というお稲荷さんがあることから、建長寺の外門あたりからとしました。
巨福呂坂の歴史・由緒
鉄ノ井から八幡宮に沿って250mほど北に進み、左に入ると鎌倉七切通の一つの巨福呂坂にかかります。今は小袋坂と書きますが、昔は、巨福呂坂、巨福路坂、巨福礼坂とも書かれていました。この道は、現在は通り抜けられませんが、青梅聖天の前から山の尾根を越え、円応寺の前から建長寺へいたるものでした。八幡宮の方の道の一部が、国の史跡になっており、江戸時代の庚申塔や道祖神が残っています。
昔、この道はたいへん急な坂で、交通が不便でした。 執権の北条泰時がこれをなおし、通り やすくしたと伝えられています。
新田義貞は、鎌倉に攻め込んだとき、兵を山手、仮粧坂、浜手と三軍に分けました。義貞が最後には浜手の稲村ヶ崎から攻め込み、 山手の大将堀口貞満もこの巨福呂坂を破って鎌倉に攻め入ったということです。
県立近代美術館別館の前を通る道は、 1886年 (明治19年)ころに開かれたものです。 昔の道 を切り取ってしまい、通り抜けできなくなったものです。
かまくら子ども風土記 36・37ページより
北条泰時が執権の時ということで、1224年から1242年の間に作られたものと考えられます。
それ以前に北鎌倉方面から鶴岡八幡宮方面に抜ける時は、亀ヶ谷坂を使っていたと言われていますが、定かではありません。
巨福呂坂の訪問レポートと関連リンク
に訪れた時のレポートおよび関連リンクです。
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