鎌倉について少し調べると「切通・切通し」という言葉によく出会います。
でも切通って何?と思う方も多いと思います。
三方を山に囲まれた鎌倉だからこそ、切通というものが多く作られた経緯がありますが、切通について詳しく説明します。
鎌倉の地形
源頼朝が、鎌倉に幕府をたてることを選んだ理由に、天然の要塞になっているから、ということがよく言われます。
三方を山に囲まれ、もう1面は海になっており、鎌倉に攻め入ってくるのは非常に難しく、非常に守りやすいということがありました。
山に囲まれている様子は十王岩と呼ばれるところから見るとよくわかります。
しかし言い換えれば、物資の搬入も非常に大変な場所でした。
だから山を切り崩して道を作る必要性が出てきます。しかし単純に切り崩して敵が簡単に侵入してきたら意味がありません。
切通は、切り崩して道を作るのと同時に侵入してくる敵を撃退するために作られました。
切通の2つの役割
切通には2つの役割があります。
- 物資の搬入や人の出入りを楽にするため
- 敵の侵入を撃退するため
物資の搬入や人の出入りを楽にするため
切通を作った理由の1つは、人や物資を搬入しやすくするためです。山を超えるのは非常に大変なので、山を切り崩して、通りやすくしたのが切通です。
トンネルを作るよりは簡単に作れることもあり、土木技術が今ほど発達していない鎌倉時代にはよく作られました。
今でもトンネルを作るほどでは無い時は切通を作って対応しているところは全国にあります。
鎌倉市内でも近年になって作られた切通として、稲村ヶ崎の切通があります。
敵の侵入を撃退するため
人が通りやすくなり、物資を運びやすくすれば、当然敵も侵入しやすくなります。
そのため大規模な切通を作る場合、敵を撃退するための要塞としても作られました。
切通を作る場合、必ず直線だけでは作らず、カーブや曲がり角を作るようにしていました。
これは侵入してくる敵を切通で撃退するためです。
まっすぐに作ってしまうと敵の侵入に対して斜め前方からしか攻撃(弓や投石)が出来ませんが、カーブを作ったり曲がり角を作ることで、十字砲火的に攻撃が出来るようになります。また上から下への攻撃は非常に効果的であり、更に山なので木々が邪魔して下の敵からの攻撃はほとんど届かない状況になります。
上記の切通を進んでいるとして横の崖の上からと前方の崖の上から攻めてこられたら、逃げようが無いことがわかりますよね。
鎌倉幕府は新田義貞が1333年に攻め落とすまで、この切通があったおかげで、敵の侵入を防いできました。
また新田義貞も切通からの攻撃は失敗しており、潮が引けた海からの侵入でようやく鎌倉を攻め込めました。
実際に切通があると、10倍以上の戦力差でも撃退出来たであろうと言われています。
鎌倉の歴史・文化を知る上で欠かせない切通
なぜ鎌倉幕府が150年ほども続けることが出来たのか?
切通というものが無ければもっと早く滅ぼされていたと言われています。
だからこそ、切通を知ることは鎌倉の歴史・文化を知る上で欠かせないものとなっています。是非、切通を見て、古の鎌倉を想像してみませんか?
以上、切通についてでした。
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